悠理愛誕生物語
〜コミケという怪物の恐怖〜
それは、1985年のことだった・・

大学生になり、東京に出てきた私は、以前から話に聞いていたコミックマーケットというものに行こうと思い立つ。まだ右も左もわからぬ若輩者の、初めてのコミケ一般参加であった。

第1の試練、当日は台風の襲来で、昨夜から並んでいた人の列は全て建物にぎゅう詰めに押し込められていた。私はまずその人の多さと、その熱気の異様さに早くも圧倒されていた。蛇行する人の列、平気で割り込む者たち、救急車のサイレンの音、永遠とも思える長い時間が過ぎ、会場30分前くらいになったとき、私はある光景に目を疑った・・!

それは、この恐ろしく多くの人間が詰め込まれた地獄の建物の向こう、巨大な鉄の扉が少しだけ開いていたその先の空間では、何人かの人間が談笑しながら既に同人誌を売り買いしていたのである!彼らこそ、サークル参加証と呼ばれる特権の札を得た選ばれた者たちだった。会場前にすでに彼らは望むままに本を手に入れていたのだ。その時私は思った。

「一般参加なんてばかばかしい、今度は必ずサークル参加してやる〜!」

そして第2の試練、私は大学の仲間を集め「ダーティペア本」を創った。ペンネームも悠理愛ではなく、成人向きでももちろんなく、アニパロ創作系の本だった。(今ではとても他人に見せることなど出来ないシロモノ)もちろんその時私は真面目に漫画をかこうなどとは思っていなかったし、増して漫画家になろうなどとは考えてもみなかった。大体私は絵自体を描き始めたのは高校3年からであって、それもラクガキ程度のモノだ。まあ、その時なりに一生懸命ではあったわけだが。

本は曲がりなりにも完成し、運良くサークル参加も当選し、私はその本を持ち会場へと向かった。だがあろうことか友人達と家を出たのが前夜11時頃。サークル参加は私には初めてのことであり、多少の不安感があったのであろう。それがいけなかった。そして銀座駅から歩き続け、しばらく歩いた後に腹が減ってきて、吉野屋へ行くことになった。おそらく牛丼大盛りだったと思う。それが決定的だった。私はその数時間後、再び地獄を見ることになったのだ・・

確かに会場入りはスムーズだった。そして会場前に同人誌を物色することもできた。今並んでいるであろう一般参加客を後目に、それは余りにも簡単なことであった。だがその時、私の体調は最悪だったのだ。寝不足、腹に違和感、そしてあの独特の会場の空気の悪さ・・全てが私にとって最悪の方向に向かっていた。

本の売れ行きは悪くなかった。そこそこのペースで売れ続けた。だが私はそれを嬉しがる余裕はなかった。断続的に襲い来る吐き気、悪寒・・本を売るのが初めての体験であり、これだけの人がいればこの位は売れるものなのかな、くらいに思っていた記憶もある。とにかく私には喜ぶ余裕がなかったのである。そして、その身の毛がよだつ恐怖の瞬間はやってきた・・

売り子をしていたわたしはついにその吐き気に耐えられず、その机の下に朝に食べた吉野屋の牛丼大盛りを全て嘔吐してしまった!友人は血相を変えて、人の海の中をかき分け遥か彼方のトイレにトイレットペーパーを取りにいってくれた。(その友人への感謝の気持ちを今も私は忘れていない)だがいかんせんその人の多さ、トイレも混雑していたのであろう、友人はなかなか帰ってこなかった。私は机の端に額を付ける格好で、永い時間、固まっているしかなかったのだ。

全てを吐いたおかげで少し楽になった私は、恥ずかしい気持ちと、友人よ、早く来てくれという気持ちでいっぱいだった。だがしばらくして、私はその場の異様さに気づく。・・そう、誰一人、この状況に対し関心を持たなかったのである!

両隣のサークルの人間達はあいかわらずニコニコと売り子をし、前を通り過ぎる一般参加客もなんの反応もなく歩いていく。私は思った。まあ、見て見ぬフリをしているんだろう、オレだってそうするかも知れない・・しかしそう思っていた矢先、信じられないことが起こった。

ある男が、机に伏せたままの私に対し、「この本下さい」と言ってきたのだ!スペース内には私の他に誰もいない。私はその体勢のまま、「どうぞ、300円です・・」というのが精一杯だった・・・

その後トイレットペーパーを持って到着した友人の背後に後光が見えたことは言うまでもない。体調も回復し、本もそれなりに売り、満足な結果だった。だが私の脳に焼き付いたのはあの男の声と、「コミケとは恐ろしい亜空間である」という印象であった。

そして、運命の第3の試練。これこそが、この世に「悠理愛」という創作者を生んだ原因だった・・

「ダーティペア本」がそこそこの売れ行きを見せ、いい気になっていた私は再び本を創った。それが「マジカルエミ本」である。制作にも更に力をいれ、自分では前よりもましな出来になったと思っていた。サークルも当選し、前回よりも安い印刷所も見つけた。体調にも気を使い、たっぷりと睡眠をとり、普通に間に合うように当日の朝出発し、はっきり言って万全だった。ただ一つ、希望もしていない、エロサークルの固まりの中に配置されていたこと以外は・・

そして、その日は私にとって最も恐ろしい地獄であった。何しろ全く売れないのだ。人は大勢来た。だがことごとく、パラパラとめくるとぱたりと置いていった。今考えればそれは当然だ。エロサークルの群の真ん中にあるエロ本でない本など、誰も買いはしない。そこにはエロを求める飢えた男達しか存在していなかったからだ。隣では、その当時既に大手に近かった某エロサークルが死ぬほど本を売りまくっていた。前回のダーティペア本の売れ方さえ一笑に付すような、それはべらぼうな売れ方だった。エロでないからなどという理由はその時の私にとって無意味だった。私はひたすら自分の無力さだけを感じ、一日中悔しさに支配され続けた・・

結局その日1日で売れたのはわずか7部、売れ残りの本がたっぷりと入ったバッグの重さが肩に食い込み、とぼとぼと歩いて駅へと向かった。そして夕暮れの勝鬨橋を渡る途中、橋のほぼ中央で立ち止まり、会場のほうを振り返った。私はその時心に誓った・・・

「今度は売れる本を創ってやる!本を置いていったヤツらに、絶対オレの本を買わせてやるんだ・・!」

そして私は悠理愛と名前を変え、エロ本の制作に取りかかった。もちろん友人は誘えなかったので、初めての個人誌だった。そしてできあがったのが、悠理愛の全力のデビュー作「レイナのひみつ」だ。

そしてコミケ当日、私は勝利した!開場後すぐに用意した100部はあっという間に机の上から消えた。あの時の喜びを、私は一生忘れないだろう。その後どんなに多くの部数を売っても、それに勝る喜びは味わえていない。その後300、700、1000部とどんどん部数は増え、必ず完売した。そして商業誌の編集の方から声がかかり、私はプロのエロ漫画家となった。そして、今に至っている・・


誤解しないで欲しいことは、私はエロ漫画を描いたことへの後悔はないということと、同人誌はたくさん売れた方がいいとは決して思っていないと言うことだ。私の場合は負けず嫌いな性格であることや、あの不幸な状況があったことなどの理由で描いたような経緯になっただけだ。ただ結果的に、私は漫画を描くことで生活できるようになったわけで、そのことは私にとって良かったと思っている。

悠理愛誕生の裏には、コミケという恐ろしい地獄から与えられた陣痛があった。その時々、人間というものは色々な状況に出会い、そして色々な影響を与えられて変わっていくものだ・・そういう話でした(^^;)



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